I 列王記 【過程と結果】 20240419(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 8:12-21 8:12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、黒雲の中に住む、と言われました。 8:13 私は、あなたの御住まいである家を、確かに建てました。御座がとこしえに据えられる場所を。」 8:14 それから王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は起立していた。 8:15 彼は言った。「イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて、こう言われた。 8:16 『わたしの民イスラエルをエジプトから導き出した日からこのかた、わたしは、わたしの名を置く家を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町も選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』 8:17 それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。 8:18 ところが主は、私の父ダビデにこう言われた。『あなたの心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった。その思いがあなたの心にあったことは、良いことである。 8:19 しかし、あなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から生まれ出るあなたの子が、わたしの名のために家を建てるのだ。』 8:20 主はお告げになった約束を果たされたので、私は主の約束どおりに父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座に就いた。そしてイスラエルの神、主の御名のためにこの家を建て、 8:21 主の契約が納められている箱のために、そこに場所を設けた。その契約は、主が私たちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」    結果より過程が大事だという言葉が人々の心に響く慰めの言葉のように扱われるほど、今の時代は過程より結果が大事にされている時代です。とは言え、私たちにとって大事ことが過程だけであるのではありません。当然、私たちは誠実な過程を経て、その結果を見なければなりません。  神様の神殿の建築を望んでいたダビデに引き継いで、ソロモンがその神殿を完成させました。私たちがよく知っている通り、神様がダビデが神殿を建築することを許さず、ソロモンがその神殿を建築するようにされたためです。  その過程で神様はダビデのその心を良いことだと言われ、喜びました。しかし、ダビデを通しては神殿を受けず、ソロモンを通して受けられただけです。だとすると、ダビデは過程だけを経て結果を見ることはできなかった人なのでしょうか?  そうではありません。彼が見た結果が神殿を自分が建築せずに次の世代に引き継いだだけで、ダビデは明確に自分の誠実な過程に対する結果を受けました。そしてその結果に従い、神殿を建てるための準備に誠実に臨みました。  キリスト者が過程が結果より大事だと言うことは確かに良い意味を持っています。私たちの結果がどうであれ、その過程に臨んだ私たちの心を神様は全て知っておられ、私たちの外見ではなく心を見る方が神様であるからです。しかし、過程が結果よりも大事と言われることが聖書的なのかという質問には、少し疑問ができるでしょう。神様は私たちのその過程を通して、神様の結果を見せてくださる方であるからです。  その結果を通して、神様は私たちを叱ったり、慰めたり、褒めてくださったりされます。しかし、私たちが過程だけを見て、結果を軽んずるならば、それは神様が私たちに伝えようとする言葉を振り向かずに、その過程を過ぎてきた自らが叱り、慰め、誉めることになってしまうでしょう。当然、結果だけを重視し、過程を軽んずることも同じです。そのため、私たちは過程と結果の間の良いバランスを取らなければならないでしょう。  ダビデが神殿を建築することが許されなかった時の感情について、聖書は詳しく語っていません。しかし、私たち各自がダビデの感情を予想してみることくらいは許されると思います。私たちは聖書を通して彼の生涯の中で彼の過程に妥当な結果を受けることも、受けないことも、過程に比べて大きな結果を受けることも見て、その以後の彼の行いについても見ているためです。  私たちが言う結果を出すという言葉は矛盾だと思います。私たちが結果を出しても、そうではなくても私たちの過程の結果は訪れます。ただし、その結果を受け入れることができるかどうかの問題に過ぎません。しかし、私たちが満足できない結果だとしても、私たちはその結果を見なければなりません。細かく調べてみなければなりません。その結果という包装の中には神様のメッセージという中身が包まれているからです。https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=FbTU_RGQMYpxQb-k

열왕기상 묵상 【과정과 결과】 20240419(금) 최종석 전도사

열왕기상 8:12-21 8:12 그 때에 솔로몬이 이르되 여호와께서 캄캄한 데 계시겠다 말씀하셨사오나 8:13 내가 참으로 주를 위하여 계실 성전을 건축하였사오니 주께서 영원히 계실 처소로소이다 하고 8:14 얼굴을 돌이켜 이스라엘의 온 회중을 위하여 축복하니 그 때에 이스라엘의 온 회중이 서 있더라 8:15 왕이 이르되 이스라엘의 하나님 여호와를 송축할지로다 여호와께서 그의 입으로 내 아버지 다윗에게 말씀하신 것을…

Ⅰ列王記 黙想 【神様の引っ越】 20240418(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 8:1~118:1 それからソロモンは、イスラエルの長老たち、および、イスラエルの部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上げるためであった。8:2 イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りにソロモン王のもとに集まった。8:3 イスラエルの長老全員が到着すると、祭司たちは箱を担ぎ、8:4 主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具を運び上げた。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上げた。8:5 ソロモン王と、王のところに集まったイスラエルの全会衆は、ともに箱の前に行き、羊や牛をいけにえとして献げた。その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできなかった。8:6 祭司たちは、主の契約の箱を、定められた場所、すなわち神殿の内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。8:7 ケルビムは、箱の一定の場所の上に翼を広げるのである。こうしてケルビムは箱とその担ぎ棒を上からおおった。8:8 その担ぎ棒は長かったので、棒の先が内殿の前の聖所からは見えていたが、外からは見えなかった。それは今日までそこにある。8:9 箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。これは、イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれた際に、モーセがホレブでそこに納めたものである。8:10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。8:11 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。   神殿が完成され、契約の箱が聖所に運び上げられます。士師時代から契約の箱が移動した履歴が分かるなら、契約の箱が移動するという話を聞くと、はらはらします。サムエルがまだ幼い頃、大祭司エリの不良の子らがペリシテとの戦争に契約の箱をお守りのように持ち出し、死んでしまいます。ペリシテの地に入った契約の箱は行く先々で呪いをかけ、多くの人々が死にます。契約の箱を覗き見ていた人々も死に、契約の箱が揺れた時にそれを手で掴もうとした人も死にました。ダビデがその契約の箱が戻ってくることを喜んで踊った時、それを嘲笑ってミカルも懲罰を受けました。   ペリシテの神殿にいる時にも、ベテ・シェメシュに行く牛車の中でも、アビナダブの家でも、契約の箱は神様のみことばです。神殿が華麗で大きいからといって、神様が栄光を受けることではなく、神様がすでにダビデに許したことですから、権威が与えられ、神様の栄光が臨まれtらのです。ソロモンが一千礼拝の後に知恵を求め、富と名誉が与えられましたが、それは実は上位の約束の中にある下位の約束です。上位の約束はサムエル下の7章にあります。神殿を建てるというダビデに神様が王位と繁栄を約束されました。「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。7:12,13」   しかし、それは神様がダビデの心を喜んだだけで、神様が神殿を求められたわけではありません。神殿を建てて、ささげるというのはダビデの思いに過ぎません。使徒の働きはこう語ります。「そして、ソロモンが神のために家を建てました。しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。──主のことば──わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。』7:47-50」神様が限られた空間に入って来られるなら、それは人間と会うためです。イエス·キリストが受肉してて馬小屋に生まれたのは、神様が人の時間と空間の中に入られたことであり、神様がソロモン神殿に臨んだのも同じ動機です。   神様の御子が受肉して時空間の中に入られたのは愛でなければ説明できません。C.S.ルイスは受肉についてこうたとえました。「神様と人間は、まるでシェイクスピアとハムレットの関係のようだ。ハムレットがシェイクスピアについて何を知ることができるだろうか?」 作品に登場する人物がそれを創造した作家をどのようにして知ることができますか?受肉は、シェイクスピアが自分の書いたハムレットという作品に登場するようなものです。 神様は自分が創造した時間と空間の中に入られました。神様がいい部屋に引っ越したのではなく、無所不在の神様が人間の礼拝を受けるために、すなわち人間と交わるために空間の中に入って来られたことです。人間は真心をもって神殿を建て、神様は愛をもって臨まれました。そのため、ソロモン神殿には輝かしい栄光がありました。

열왕기상 묵상 【하나님의 이사】 20240418(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 8:1~118:1 이에 솔로몬이 여호와의 언약궤를 다윗성 곧 시온에서 메어 올리고자 하여 이스라엘 장로와 모든 지파의 두목 곧 이스라엘 자손의 족장들을 예루살렘 자기에게로 소집하니8:2 이스라엘 모든 사람이 다 에다님월 곧 칠월 절기에 솔로몬왕에게 모이고8:3 이스라엘 장로들이 다 이르매 제사장들이 궤를 메니라8:4 여호와의 궤와 회막과 성막 안의 모든 거룩한 기구들을 메고 올라가되 제사장과 레위 사람이 그것들을…

Ⅰ列王記 黙想 【青銅の海】 20240417(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 7:23~517:23 それから、彼は鋳物の「海」を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、高さは五キュビト。周囲は測り縄で巻いて三十キュビトであった。7:24 その縁の下に沿って、瓢簞模様が周りを取り巻いていた。一キュビトにつき十ずつの割合でその「海」の周りを取り巻いていた。この瓢箪模様は二段になっていて、「海」を鋳たときに鋳込んだものである。7:25 「海」は十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。「海」はこれらの牛の上に載せられていて、牛の後部はすべて内側を向いていた。7:26 「海」の厚さは一手幅あり、その縁は杯の縁のように、ゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。7:27 彼は青銅で十個の台を作った。それぞれの台は長さ四キュビト、幅四キュビト、高さ三キュビトであった。7:28 この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板は枠にはめられていた。7:29 枠にはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムがあり、雄獅子と牛の上下にある枠の表面には花模様が施されていた。7:30 台には、それぞれ、青銅の車輪が四つと、青銅の軸が付いていて、台の四隅には洗盤の支えがあり、その支えは洗盤の下にあって、それぞれの表面に花模様が鋳込まれていた。7:31 洗盤の口は冠の内側にあって、一キュビト上に出ていた。その口は丸く、花模様の細工が施され、一キュビト半あった。またその口の上にも彫刻がしてあり、枠の鏡板は四角で、丸くなかった。7:32 四つの車輪は鏡板の下にあり、車軸は台に取り付けられ、一つの車輪の高さは一キュビト半であった。7:33 その車輪の作りは戦車の車輪の作りと同じで、車軸も輪縁も輻も轂も、みな鋳物であった。7:34 それぞれの台の四隅には、四本の支えがあり、支えと台は一体となっていた。7:35 台の上部には高さ半キュビトの丸い部分が取り巻いていて、その台の上の支えと鏡板は一体となっていた。7:36 その支えの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと雄獅子となつめ椰子の木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。7:37 彼は以上のように十個の台を作った。それらはすべて同じように鋳造され、同じ寸法、同じ形であった。7:38 それから、彼は青銅で十個の洗盤を作った。洗盤の容量はそれぞれ四十バテ、大きさはそれぞれ四キュビトであった。洗盤はそれぞれの台に一個ずつ、十個の台の上にあった。7:39 彼はその台の五個を神殿の右側に、五個を神殿の左側に置き、「海」を神殿の右側、東南の方角に置いた。7:40 さらにヒラムは灰壺と十能と鉢を作った。こうして、ヒラムは、ソロモン王のために主の宮でなすべきすべての仕事を完了した。7:41 すなわち、二本の柱と、二本の柱の頂にある丸い柱頭、および柱の頂にある丸い二つの柱頭をおおう二つの格子細工、7:42 また、二つの格子細工に取り付ける四百個のざくろ、すなわち、柱の先端にある丸い二つの柱頭をおおうそれぞれの格子細工のための二段のざくろ、7:43 また、十個の台と、その台の上の十個の洗盤、7:44 「海」一つと、その「海」の下の十二頭の牛、7:45 そして、灰壺と十能と鉢である。ヒラムがソロモン王のため、主の宮のために作ったこれらのすべての物は、磨きをかけた青銅であった。7:46 王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンの間にある粘土の地でこれらを鋳造した。7:47 ソロモンは、すべての用具を配置した。非常に大量だったので、青銅の重さは量られなかった。7:48 また、ソロモンは主の宮にあるあらゆる物を作った。金の祭壇と、臨在のパンを載せる金の机、7:49 内殿の前、右側に五つ、左側に五つ置かれる純金の燭台、金の飾り花、ともしび皿、芯切りばさみを作った。7:50 また純金の皿と、芯取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。至聖所に通じる神殿内部の扉のちょうつがい、神殿の本殿に通じる扉のちょうつがいも金で作った。7:51 こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。   青銅の専門家ヒラムが神殿の中庭に青銅の海とその他に洗盤と飾りを造ります。青銅の海とは清潔の儀式のために、青銅製の大型貯水槽のようなものです。直径が5メートル、高さ2.5メートル、貯水量は45トンから68トンになる巨大な水槽でした。それで海と呼んでいました。ユリの形をした青銅の飾りがあり、12頭の雄牛が青銅の海を支える形になっています。実用的な意味では少数の祭司が洗うために大型貯水槽までは必要ないですが、海と名づけたことから考えると、それに浄化という意味があると思います。海は測れないほど広いものであって、海の浄化能力をも知っていたのではないでしょうか?それを眺めるだけで浄化されるという願いがあったと思います。   清潔のための青銅の海でしたが、イスラエルが清潔でなかったとき、それは解体されてしまいます。後代に弱くなった南ユダは海と雄牛を分離して雄牛12頭をアッシリヤに貢ぎ物として捧げ、バビロニアは海を破壊し、解体して持って行きました。エゼキエルを思い出しました。 エゼキエルはバビロニアによって捕虜として連れられた人です。エゼキエルは、滅亡の苦痛と捕虜生活の絶望の中で、3つの幻を見ましたが、一つは乾びた骨の幻、二つ目は新しいエルサレムと新しい神殿が再建される幻で、三つ目は神殿から流れる生ける水の幻でした。神殿の敷居の下から水が出て、祭壇を通って流れるところごとに繁盛し、ヨルダン川を通り、死海に流れ込み、死んだものがよみがえります。   ヨハネ福音書の7章で、「イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。7:37、38」とあります。ここの生ける水はイエス様ではなくイエス様が遣わすもの、すなわち聖霊のことです。「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。7:39」ヒラムの青銅の海とエゼキエルの神殿の生ける水は聖霊です。それはキリストをもたらすものです。聖霊のよってイエス・キリストを信じます。イエス·キリストは水ではなく血だからです。神様にささげなければならない犠牲のささげものです。聖霊の水で洗われた人はイエス·キリストの血によって洗われ、それによって神様に出会います。渇いた心と魂を濡らす、聖霊を慕い求めます。

열왕기상 묵상 【놋바다】 20240417(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 7:23~517:23 또 바다를 부어 만들었으니 그 직경이 십 규빗이요 그 모양이 둥글며 그 고는 다섯 규빗이요 주위는 삼십 규빗 줄을 두를만하며7:24 그 가장자리 아래에는 돌아가며 박이 있는데 매 규빗에 열개씩 있어서 바다 주위에 둘렸으니 그 박은 바다를 부어 만들 때에 두 줄로 부어 만들었으며7:25 그 바다를 열 두 소가 받쳤으니 셋은 북을 향하였고 셋은…

Ⅰ列王記 黙想 【柱の頂にはゆりの花】 20240416(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 7:1~227:1 また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。7:2 彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。7:3 また、四十五本の柱の上にある階段式脇間の屋根は、杉材で葺かれていた。柱は一列に十五本ずつあった。7:4 戸口は三列あり、三段になって向かい合っていた。7:5 戸口の扉と戸口の柱はすべて四角形で、三段になって向かい合っていた。7:6 また彼は、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしがあった。7:7 また、さばきをするための王座の広間、すなわち、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めた。7:8 彼の住む家はその広間のうしろの庭にあり、同じ造りであった。ソロモンは、彼が妻としたファラオの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。7:9 これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。7:10 礎は高価な石、大きな石で、八キュビトも十キュビトもあった。7:11 その上には、寸法どおりに切りそろえられた高価な石と杉材が使われた。7:12 大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉の角材が使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。7:13 ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んで来た。7:14 彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。7:15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。片方の柱の高さは十八キュビト。もう片方の柱の周囲は、ひもで測って十二キュビトであった。7:16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作って、柱の頂に載せた。片方の柱頭の高さは五キュビト、もう片方の柱頭の高さも五キュビトであった。7:17 柱の頂の柱頭に取り付ける、鎖で編んで房になった格子細工の網を、片方の柱頭に七つ、もう片方の柱頭に七つ作った。7:18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうため、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、もう片方の柱頭にも同じようにした。7:19 この玄関広間にある柱の頂にある柱頭は、ゆりの花の細工で、それは四キュビトであった。7:20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで、丸い突出部の周りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。7:21 この柱を本殿の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。7:22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があった。こうして、柱の造作は完成した。   6章で神殿建築の話が終わり、7章で王宮建築が始まっているようでしたが、7章13節以降からは再び神殿建築の話が続きます。ソロモンは、ツロから青銅を使って金属工芸をする造形芸術家のヒラムを招聘し、神殿の入口に巨大な二本の青銅の柱を作りました。この柱は荷重を負担する構造的な役割ではなく、神殿の入口に信仰的な意味を与えるための造形物でした。二つの柱はヤキンとボアズと名付けられ、ヤキンは、神が立てるという意味で、ボアズは神に力があるという意味です。神殿が神様の力によって、神様が建てられたことを記念し、記憶するためのものでした。   出エジプト記でイスラエルの暮らしを支えたのは、雲の柱、火の柱でした。 民はその保護の下にありました。 人生で成就を経験する時、見えないところで人生を支えている神様の恵み、雲の柱、火の柱を覚えなければなりません。ヒラムは雄大で美しい神殿が人の産物にならないように、その中に神様の御名と力を告白のように刻み込む芸術作業をしました。ソロモンをはじめとするすべての民は、神殿に入る時、心を高めずに神様の栄光のみを考えなければなりませんでした。神様の力によって神様が立てられていることを心の中に刻まなければなりませんでした。悲しいですが、歴史的な事実を先に言うなら、それを忘れた時、この神殿は崩れました。   ヤキンとボアズのように神殿の大切な柱になるようにという祈りを耳にします。素晴らしい献身の祈りです。しかし、ヤキンとボアズが神殿を支える構造力学的な柱になるわけではありません。人は、神様がご自身の御力でご自身で立てられていくということを知り、それを告白することです。人がしなければならないことは、教会のヤキンとボアズになることではなく、教会が神様のものであることを認めることです。教会は神様から立てられ、守ることであり、聖徒はその神様に仕えることです。ヒラムは、芸術を通して神殿に人間の功労を入れないよう警告しています。教会は神様によって建てられ、教会の主は神様であり、その頭はイエス·キリストです。   「この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があった。こうして、柱の造作は完成した。7:22」のヤキンとボアズの上にゆりの花を作った後、柱造形作業は完了しました。賛美歌の中で、「わがともにますあがないぬしイエスきみのうるわしさは たにまのゆりかあけのほしかくらべうるものはあらじ…」という歌詞の賛美があります。ゆりの花に象徴されるイエス様が一番上におられます。イエス様がソロモンの名とゆりの花の名を一緒に使って教えられたことがあります。「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。6:28,29」人の誇りという誘惑を破り、神様の栄光を追い求めなければならないことを改めて思います。  

열왕기상 묵상 【두 기둥 꼭대기에 있는 백합화】 20240416(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 7:1~227:1 솔로몬이 자기의 궁을 십삼년 동안 건축하여 그 전부를 준공하니라7:2 저가 레바논 나무로 궁을 지었으니 장이 일백 규빗이요 광이 오십규빗이요 고가 삼십 규빗이라 백향목 기둥이 네 줄이요 기둥위에 백향목 들보가 있으며7:3 기둥위에 있는 사십 오개 들보를 백향목으로 덮었는데 들보는 한줄에 열 다섯이요7:4 또 창틀이 세 줄로 있는데 창과 창이 세 층으로 서로 대하였고7:5 모든…

Ⅰ列王記 黙想 【設計どおりに】 20240415(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 6:14~386:14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。6:15 彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板でおおった。なお神殿の床は、もみの板でおおった。6:16 それから、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで杉の板でおおった。このようにして、彼は神殿に内殿、すなわち至聖所を設けた。6:17 神殿の手前側の本殿は四十キュビトであった。6:18 神殿内部の杉の板には、瓢簞模様と花模様が浮き彫りにされていて、すべては杉の板で、石は見えなかった。6:19 内殿は神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために設けた。6:20 内殿の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金でこれをおおった。さらに杉材の祭壇も純金でおおった。6:21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内殿の前に金の鎖を渡し、これに金をかぶせた。6:22 神殿全体を隅々まで金でおおい、内殿に関わる祭壇も全体を金でおおった。6:23 内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。6:24 ケルビムの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。翼の端から翼の端までは十キュビトであった。6:25 もう片方のケルビムも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。6:26 片方のケルビムの高さは十キュビト、もう片方のケルビムも同じであった。6:27 ケルビムは神殿内部に置かれた。ケルビムは翼を広げていて、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届き、また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていた。6:28 ソロモンはこのケルビムに金をかぶせた。6:29 神殿の四方のすべての壁には、奥の間も外の間も、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫った。6:30 神殿の床は、奥の間も外の間も金でおおった。6:31 ソロモンは内殿の入り口を、オリーブ材の扉と五角形の戸口の柱で作った。6:32 その二つのオリーブ材の扉に、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫り、金でおおった。ケルビムとなつめ椰子の木の上に金を張り付けたのである。6:33 同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作った。6:34 また、もみの木で二つの扉を作った。片方の扉の二枚の戸は折り畳み戸、もう片方の扉の二枚の戸も折り畳み戸であった。6:35 ケルビムとなつめ椰子の木と花模様を彫り付け、その彫り物の上に、ぴったりと金を張り付けた。6:36 それからソロモンは、切り石三段と杉の角材一段の仕切りで内庭を造った。6:37 第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、6:38 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。   ソロモンが神殿建築を完成します。神殿建築を始めて7年ぶりです。当時の建築というのは、現代のものとは違うと思いますが、着工から完工までかかる時間を1年にすると、設計などの準備のために別途に3ヶ月から長くて6ヶ月の時間が必要です。ソロモン神殿が早く建てられたのはソロモンが施工しましたが、ダビデの時にすでに設計と資材が調達されていたからです。神様はダビデに具体的な設計とデザインを指示しました。ただ、施工をしてはならないということだったので、ダビデは最高級の建築資材を時間をかけて調達することができました。そのような意味で、ダビデの時にすでに建築は始まったと言わなければなりません。神様が「設計」され、ダビデは「調達」し、ソロモンが「施工」しました。   ところが、今日の本文6章の始まりである1節によれば、ソロモンが着工した年が出エジプトして480年後であります。着工したのが480年で、完工したのが487年です。なぜ神殿建築の基準が出エジプト記なのでしょうか?出エジプト記というのは、他人の地で奴隷生活をしていて、神様から約束された地、乳と蜜が流れる地で礼拝の自由を楽しむという希望ではなかったのですか?その念願の始まりに遡ってみると、487年前のことです。建物を建てるために土地を買い取ったり確保したりする「規模検討」も、建築過程の一部です。では、さらに遡って出エジプト記の時から建築が始まったとしたら飛躍でしょうか?土地がないと建物を建てません。神様に土地が与えられたことを忘れてはなりません。   「第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。6:38」7年の工事期間と神様の設計通りに完工したという報告です。歴史の中に建てられた神殿、教会は模型であり、影です。模型という意味のギリシャ語は「ツポス(τύπος)」で、ヘブル人への手紙でも模型「ツポス(τύπος)」があり、模型と本体、影と実体を比較しました。聖所や神殿は血を流す供え物を通じた礼拝のために存在します。ですから、それはよりすぐれた契約の仲介者であり、影です。「すべての部分が設計どおりに完成した」神様の設計と計画どおりイエス·キリストの模型である神殿が完工しました。

열왕기상 묵상 【설계와 식양대로】 20240415(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 6:14~386:14 솔로몬이 전 건축하기를 마치고6:15 백향목 널판으로 전의 안 벽 곧 전 마루에서 천장까지의 벽에 입히고 또 잣나무 널판으로 전 마루를 놓고6:16 또 전 뒤편에서부터 이십 규빗 되는 곳에 마루에서 천장까지 백향목 널판으로 가로막아 전의 내소 곧 지성소를 만들었으며6:17 내소 앞에 있는 외소 곧 성소의 장이 사십 규빗이며6:18 전 안에 입힌 백향목에는 박과 핀…